セクシャルメディテーション
瞑想を続けていると神秘体験の1~2つは簡単におきます。
いえいえ、普通です。 余裕です。
100~200はおきます。
ノーハンドでイクのはもちろん
伝統的に表されるチャクラ・丹田・クンダリーニ覚醒
開発すると幻覚 ・幻聴 ・神秘体験 ・臨死体験 ・幽体離脱くらい余裕です。
私は、サクッと1年でいけました。
最近、受講される生徒さんが真面目に取り組み講座のレベルが高くなり、1回目で神秘体験を起
こしたり、性的快感を得る人もザラです。
瞑想をする人の大半は、「自我」をコントロールしたかったり、自分の観たことのない神秘を知
りたくて「悟り」を求めているかたが多くいらっしゃいます。
ではなぜそれを求めるのでしょう?
それは、釈迦の時代2600年前から人は悩んでいます。
釈迦の時代とは、国や環境が違いすぎるため、現在の日本で「二度と生まれ変わらないこと」を
望む人も少ないでしょう。
前世占いや、「生まれ変わったら何になりたい?」と聞かれ、
本気で「私は貝になりたい」と答える人は現代では少ないでしょう。
ですが、自分の人生を良くしたい、という悩みは古今東西変わらず、悩みのほとんどは人間関係
です。
人は関係性により生きていまして、親からの育児やハグという関係性を絶たれたネグレクト(育
児放棄)された子供の発達は遅くなります。
我々は「パンのみに生きるに非ず」(マタイ4:4)。
愛によって生かされます。
愛情が無ければ、成長しないのです。
成長どころか生きることもできず、孤独死します。
ちなみに「愛」というとぼんやりしますが、聖書学で言うイエスの言う「愛」とは「関係性」で
す。
「愛」は永遠に続くものではなく、
「関係性」により、生じ、滅し、移り変わりる。
「関係性という縁起」がおこり、つながり、つまり、釈迦とイエスは同じことを説法しています。
聖人2人は天に召された後、聖人2人は意気投合し、現在、東京の立川でバカンスを過ごしてい
るようです。
人生を生きていれば年とともに状況も変わりますし、状況も変われば悩みも変わります。
つまり、死ぬまで悩み続けるということです。
*「自灯明自帰依、法灯明法帰依」*という言葉があります。
山崎龍明武蔵野女子大学教授の著書「仏教の再生」の約によると、
「自らを灯火とし、自らを拠り所とせよ。 法=心理を灯火とし、法を拠り所とせよ」となって
います。
同書には
「どこまで行っても人生の拠り所は「私」なのです。
決定的に、この私にあるのです。
しかし、その拠り所となるべき「私」は、ただの「私」ではありません。
日常性の中に頭までどっぷり浸かり、世俗の価値観を唯一の尺度として人生を生きている、この
ただの「私」ではありません。
法=真理によって制御されたところの私自身」であることを忘れてはいけません。
サクっとまとめると、*「自分で自分の神になれ!」*
法=真理というのは、思考空間に広がった、顕在意識を超越した法として働いているホメオスタ
シスの因果です。
ここで大事なのは、自分の意思や、沸きおこる恐怖など 現実世界を超越したホメオスタシスに
制御された自分自身。
つまり、セクシャルメディテーションでの身に着けるものは
*自分の意思や、沸きおこる恐怖など 現実世界を超越したホメオスタシスに制御された潜在的な
自我をコントロールし、社会に機能を提供するための瞑想です。*
瞑想とは、自分の内部表現に潜ること。
潜った内部世界は豊かなものです。
豊かで曖昧だからこそ困難です。
それはもう、筆舌に尽くしがたいほど。
*言語で表せない自分の内部の世界を幻覚・幻聴・幻触・幻味・神秘体験・臨死体験・幽体離脱
を通して自分の記憶や恐怖や快楽と向き合っていきます。*
幻覚・幻聴・神秘体験・臨死体験・幽体離脱を出来るのはお手の物。
ここからスタートラインにしたいと考えます。
瞑想が楽しいすぎてで起こる弊害もありますが・・・(夢から醒めたくない達磨大使もいますし)
「セクシャルメディテーション」では幻想世界を冷静に客観視しながら楽しんで開発をしていき
ます。
主催 日本催眠術倶楽部
客員講師 リエ
お申し込みメール tamura@j-002.net